2015/12/30

【これが88歳の作品!?】 葛飾北斎が老いてから描いた画が強烈すぎる【波の画だけじゃない】



【これが88歳の作品!?】葛飾北斎が老いてから描いた画が強烈すぎる【波の画だけじゃない】


波の絵で、世界でも非常に有名な葛飾北斎。日本人にとってもあまりに見慣れたあれ以外の北斎作品もまた凄い。特に老人になってからの作品は圧倒されます。あまり知られていない、“波の絵じゃない”北斎の傑作を紹介します。(年齢は数えではなく、現代一般的な満で紹介します)



色彩感覚ずば抜けてる





八方睨み鳳凰図 下絵(1848年) 葛飾北斎 87歳ごろ長野県にある岩松院の天井に描かれた天井画。そのサイズはなんと畳21枚分。この大作を86歳から87歳までの1年かけて仕上げたというからすごい。とにかく迫力が半端ない!ビビッドな色味、鳳凰の目力も尋常じゃない。まさに魂が込められているような力強さがびしびしと伝わってくる。ちなみに天井画は今も当時の色彩と光沢を保っているという。



海外が驚愕した“北斎ブルー”

甲州石班沢(1831〜35年/『冨嶽三十六景』より) 葛飾北斎 70歳〜74歳ごろ藍摺絵(藍色の濃淡のみで仕上げた画)の傑作。「いろんな表情の富士山を描くよ!」というコンセプトシリーズ『冨嶽三十六景』のひとつ。ベロ藍(プルシャンブルー)とよばれる色がなんとも美しい。当時、海外の芸術家たちを驚愕させたこの色使いは、“Hokusai and Blue Revolution(青の革命)”とも呼ばれているそうで。
ちなみにこれ構図も面白くて、岩と猟師の持っている網で富士山と同じ三角形を描いています。




星の下で舞う鬼


文昌星図(1843年) 葛飾北斎 82歳ごろ筆を持った鬼は、もしかして北斎自身だったのかもしれません。






田植えが幻想的にみえる不思議

田植図(1843年) 葛飾北斎 82歳ごろ北斎晩年の作品。田植えをする人々のかぶる笠の白い丸が印象的。西洋画的な雰囲気も感じられます。






晩年に描いた虎

雪中虎図(1849年) 葛飾北斎 88歳ごろ満88歳で没した北斎が死の数ヶ月前に描いたという作品。虎の質感や肢体が独特の雰囲気で見る者をひきつけます。なんか普通じゃない感じを受けますね。





斬新すぎる滝の描き方


木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝(1833年/諸国滝廻り』より) 葛飾北斎 72歳ごろこちらは全国で有名な滝を描いたシリーズの1枚。流れ落ちる水の表情をどう描くかに主眼が置かれているそう。その企み通りすごい描き方です。流れ落ちる直前の水と落ちていく水がまったく別物のよう。こんな発想、どこからくるんでしょうか。







妙に格好いい「端午の節句の縁起もの」


鍾馗騎獅図(1844年) 葛飾北斎 83歳ごろ魔を追い払う神「鍾馗(しょうき)」が、魔除けの動物獅子に乗ってるんだから、その効果は半端ないです。北斎自らの長命・厄払いの願いを込めたなんて話も。しかし、魔除けというよりも、積極的に打ち払いにいかんとするこの迫力。80歳を超えて、なおこの画が描けるのが凄い。



動きのある美人画


手踊図(1818~29年) 葛飾北斎 57〜68歳ごろ一瞬を切り取る名人・北斎の真骨頂。美人画も普通じゃありません。






通称、赤富士

凱風快晴(1831〜35年/『冨嶽三十六景』より) 葛飾北斎 70〜74歳ごろ『波の画』と並び、海外でも非常に有名な作品。実は初期版ではここまでの赤ではないのですが、それは美術館で実際に観るときのお楽しみかもしれません。






もう一丁、富士山。

富士と笛吹童図(1839年ごろ) 葛飾北斎 78歳ごろ凄まじい構成力。ただ、それよりもなんなんでしょう、この漂う寂しさは。日本人の琴線をびしびし刺激する画です。




武者のとっくみ合い


渡辺の源吾綱 猪の熊入道雷雲(1833〜35年/『山本屋版武者絵』シリーズより) 葛飾北斎 72〜74歳ごろ風景画で有名な北斎ですが武者絵もこのとおり素晴らしいです。ギュウギュウととっくみあう2人の男のポーズがすごいですね。特にやられている方の指。







北斎流お化け



「お岩さん」(上)、「小はだ小平二」(下)(1831~32年/『百物語』より) 葛飾北斎 70〜71歳ごろ当初は100枚のシリーズものだったらしいが現在確認されているのは5点のみ。どれも怖いのはもちろんながらまるでポスターのようなデザイン性の高い構図がすごい!





発想がぶっ飛んでる

蛸と海女(1820年ごろ) 葛飾北斎 59歳ごろ北斎は春画(性風俗画)も数多く手がけています。ホントになんでも描くな、この人。その際のペンネームがまた面白い。その名も「鉄棒ぬらぬら」。こちらは北斎の春画のなかでも特に有名な1枚。200年近く前にこの発想力。






歴史的ロングセラー


北斎漫画(1814年〜) 葛飾北斎 53歳ごろ〜北斎は風景画からエロまで何でも描きました。彼はいつからか「森羅万象」を描くといわれるようになりますが、こちらはその集大成。この漫画とは「漫(そぞ)ろな画」=気の向くままに描いた画という意味で、まさに絵の百科事典。全15編。人々のさまざまな姿をはじめ動植物、風景、道具、妖怪などなんでもあり。太った人ばかりを描いたものは思わず笑ってしまうほのぼの感にあふれています。北斎の死後、時代が明治に移ってもなお続編が刊行され続けました。





デフォルメの凄さ

くだんうしがふち(1804〜07年) 葛飾北斎 43〜46歳ごろ中年期の作品だけど、ぜひ紹介したいです。西洋画の技法の研究にも余念がなかった北斎はこんな西洋画風の作品も残していました。






鳥さん、逃げてー!

蛇と小鳥(1833~1839年ごろ/『肉筆画帖』より) 葛飾北斎 72〜78歳ごろ説明不要の一瞬を描いた作品。あいかわらずの構図の凄さ。一節によると、天保大飢饉で版元たちも餓死寸前だったときに、この『肉筆画帖』シリーズを描いたところ大ヒット。それにより、飢えをしのいだとか。







鮭さんも逃げてっ!

鮭と鼠(1833~1839年ごろ/『肉筆画帖』より) 葛飾北斎 72〜78歳ごろ今度は鮭。シリーズ『肉筆画帖』のうちの一枚。





いまだ世界を魅了するグレートウェーブ

神奈川沖浪裏(1831〜35年/『冨嶽三十六景』より) 葛飾北斎 70〜74歳ごろおそらく歴史上もっとも有名な日本画。海外では「グレートウェーブ」という名称で愛されています。葛飾北斎が遺した数多くの傑作のひとつです。






北斎「イベントやるから来てね!」

大達磨揮毫の予告黒摺引き札(1817年) 葛飾北斎 56歳ごろ1817年、北斎は名古屋に滞在中、本願寺別院で120畳敷きの巨大な紙に即興で達磨を描き名古屋の人の度肝を抜きました。これはそのイベントを予告するチラシ。ちなみに巨大達磨の絵そのものは残念ながら戦災でなくなってしまい、今ではこのチラシだけが残っています。北斎という人はエンターティナーでもあったようです。






あいかわらず鳳凰の迫力がすごい


鳳凰図屏風(1835年) 葛飾北斎 74歳ごろ天井絵とは別の画ですが、こちらも圧倒的な迫力。これが180年近い前の作品ということに言葉が出ません。ぜひ拡大してみてください。(上の画像をクリック)





ただのスイカなのに妙に妖しい


西瓜図(1839年) 葛飾北斎 78歳ごろスイカのしっとりかつ赤々とした断面と、らせん状の剥かれた皮。じっとみていると、ただのスイカなのですが様々想像力がかき立てられます。







なんともオシャレ


中版花鳥図 鶺鴒と藤(1834年) 葛飾北斎 73歳ごろ鋭い観察眼を持つ北斎は花鳥図も得意としており海外での評価も非常に高いです。この「鶺鴒と藤」もいいですね~。なんかシャレてます。お菓子のパッケージとかにも使えそうです。






空海VS疫神

弘法大師修法図(1844〜47年ごろ) 葛飾北斎 83〜86歳ごろ弘法大師と真言宗の開祖・空海が疫神を調伏しています。とんでもない迫力。西新井大師の寺宝です。





月と虎


月みる虎図(1844年ごろ) 葛飾北斎 83歳ごろ月を見上げる虎の表情がなんともいえません。うっとりしてるようでもあり、何かを寂しく想っているようでもあります。






着物の柄と色使い


遊女図(1810〜19年ごろ) 葛飾北斎 49〜58歳ごろ中年期の作品ですが番外編として紹介。幾重にもかさなる着物の柄と色使いがなんとも華やか。






親子合作

唐獅子図(1844年) 葛飾北斎 83歳ごろこの鮮やかで力強い浮世絵。真ん中の獅子が葛飾北斎の作、周りの花を描いたのはその娘であり絵師である葛飾応為(かつしかおうい)。天才絵師2人による親子合作です。






昇り龍


富士越龍図(1849年) 葛飾北斎 88歳ごろ北斎が死の3ヶ月ほど前に描いたといわれこの作品が絶筆ともいわれています。天に昇る龍は死が近づくのを悟った北斎自身なのかも。





北斎はこんなことを記したことがあります。
「70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。」

北斎は数え年90歳になって、この世を去ります。彼の言葉を借りれば、奥義に極めた年齢。
しかし、彼の最後の言葉は次のようなものでした。


「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」(もうあと5年長生きできたら、本当の画工になることができたものを)

最後に。
葛飾北斎の自画像を紹介します。





鬼気迫る様です。それもそのはず。北斎は、晩年自らをこう号していました。



「画狂老人卍」(がきょうろうじん まんじ)


現状につねに満足せず、引っ越し93回、改名すること30回。
生涯現役として描いた絵は3万点。
「世界第一の画工になる」と本気で宣言し、
80歳を越えても、「猫一匹も描けない。意のままにならない」と、悔し泣きをした老人。
それが葛飾北斎でした。

北斎の辞世の句です。


「人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原」(人魂になって、夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか)


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