2015/12/31

外国人「これが日本の・・・」日本の進化した和装がカッコイイ


外国人「これが日本の・・・」日本の進化した和装がカッコイイ

クールすぎる和装!?


和装「クールジャパン」として日本独特の文化が海外に進出する昨今。お寿司をはじめとした食文化やアニメや音楽などのポップカルチャー、また着物といった日本の衣服も海外での愛好者が増えています。

そんな中、現代風な着物用パーカ「旅するパーカ」が紹介されていました。





 着物に合わせるパーカ・・・というと中々イメージできないと思いますが、日常生活でも着やすく動きやすい機能的な着物を開発するブランド「和次元 滴や」さんからは発表された「旅するパーカ」はなんともクールになっていました。

 この「旅するパーカ」は滴やの十周年限定10作品のNo.8と発表されたもの。「パーカ:風土ローブ ドバイ」「風土ローブ トランシルバニア」「陣パーカ ウランバートル」「陣パーカ カムチャツカ」の4種がラインナップされており、和装にフードが付くという斬新さは勿論、どれも袴に合わせるためにデザインされたクールな一品となっているのです。

 またこの十周年限定10作品ではパーカの他にも色やデザイン、また素材もバリエーションに飛んだ様々な作品が色々。もうそろそろお正月ということで着物の一つも持っていた方がいいかもしれませんね。詳細は滴やの公式ウェブサイトよりチェックしてみてください。

10thAnniversaryLimitedCollection
Opus.8
Op.8-1 : Goodspeed Parka "Dubai"旅するパーカ:風土ローブ ドバイ
Detail & Coordinate

パーカの類も当店を象徴するアイテムである。開店当初から商品計画に入っていたので、試行錯誤の末、原型となるモデルは、程なくして商品化できた。 発売した当時は、和服の上に着るパーカなど他には無かったのでギョッとされたものだが、年月を重ねた現在は、着実にファンを増やし、すっかり当店の定番のアイテムへと成長した。 思えば、パーカが欲しくて…とおっしゃって、初めて滴やに来ていただいた方も多く、男物しかない当店においては珍しく女性の目線まで集める、まさに滴や的なアイテムなのである。

初めは「和次元パーカ」として誕生し、改良を重ね、毎年のようにマイナーチェンジを繰り返してきたが、2年前に大きくモデルチェンジしたのを機に、袖の有るものは「風土ローブ」と名も改めた。 はっきり言って、当店へ度々いらっしゃる方々は、一般的な着物愛好家とは違うので、和装にフードが付く程度の珍しさでは、さほど喜ぶ方もいない。他にもフードの付いたコートを発売する店が出るようになってきた今では、尚更のことだ。

「風土ローブ」となるとき、大きくデザインチェンジしたのが袖である。当店のマントや二重廻しコートには、当然ながら袖は無い。一方、この風土ローブと6作目の和慈羽袖では、特に和服の袖を楽しんでもらいたいと考えている。 今回の画像では紹介できていないが、風土ローブを着て畳の上に座る姿は美しい。まるで御内裏様のように袖が末広がりに流れて、富士山的なシルエットを生み出してくれる。着こなした者だけに賞賛が寄せられることだろう。

「風土ローブ」による印象的な存在感は、フードのインパクトだけで生まれるものではない。フードと大きい袖が相まって、流れるようなシルエットが生み出されるのだ。 これこそが東洋的な印象で、三国志の孔明を思わせると表現すれば、男性には分かりやすいだろうか。優雅でありながら、底知れない迫力も感じさせるのが、滴やの「風土ローブ」なのだ。

さて、今回のテーマは「旅するパーカ」だ。パーカ類の良さは、コートやマント、或いは羽織に比べて、気軽なことだ。正直、羽織では堅苦しい、和風に偏り過ぎわざとらしい、コート・マントでは重い、大袈裟…などという場面も多い。

その点、パーカなら散歩やお出掛けから旅行まで、たいていの場面で使えるので、とても便利である。そして、おおよその場所に溶け込めてしまうのだ。おまけに、和服の無駄に格式張り、悪目立ちする要素を覆い隠し、調和させて、ちょっとモダンな印象にしてくれることが、滴やのパーカが愛されてきた一番の理由だと思われる。

今回は、パーカに様々な素材を採用することで、およそ日本的でないシーンで、どれほど和服が調和できるのかを探る空想の旅に出てみたいと思う。

いよいよ、個々の説明に移ろう。最初の作品は、今までのどの作品よりも最新の素材を使っているはずだ。シースルーだし、3Dだし、ストレッチも効いてて、スポーツライクな印象だ。生地にハサミを入れるときが楽しかった。例えるなら段ボールの表の紙だけを剥がし、内側の波状の紙と裏の紙だけを残したような形状の組織をしている生地だ。 もちろん、それが細かく織られており、凹凸の天井部分だけが黒で、あとは白い。近くで見ればパキッとした黒い縞が立体的に浮き上がっている感じである。(当然、遠目には薄いグレーとなるが)黒いストライプの間は透けるので、中に着た小袖が見え、シースルーとなる。

織り方の特性上、生地にハリがあってストレッチも効いているから、ほとんどシワは気にならないし型崩れも少ない。生地の厚みの割には随分と軽いという感想だ。機械的に作り上げた蜃気楼を纏っているようで、無機質なカッコ良さがある。砂漠に出現した超近代都市ドバイにイメージが重なった。

【旅する風土ローブ】
Material:ポリエステル 100%
Size:フリーサイズ
Price:70,000円+税

【サイコロのコートクリップ】
Price:5,000円+税



Op.8-2 : Goodspeed Parka "Transylvania"旅するパーカ:風土ローブ トランシルバニア
Detail & Coordinate


次の風土ローブには、ワインレッドの背景の上にペインティングナイフで黒の絵の具を描きなぐった油絵のような紋様が広がっている。図柄が立体的に見えるのは、染めではなく織りで表現されているからだ。この織紋様の生地、実は形状記憶の布、メモリ織物なのだ。しっかりと織られた生地でハリがあるから、やや硬そうに見えるが、非常に軽く厚ぼったくも無い。そんなメモリ素材は、風土ローブの材料にはうってつけである。

フードや身頃の前開き部分などを折ったり、たたんだり、シワを付けたりすることで、形状に立体感が出せる。ふわっとボリュームのあるフードなど、変化をつけた着こなしが楽しめるのだ。中でも、一番遊べる部分が袖だ。袖口のボタンを外せば、袖口が広がり、魅力的なシルエットに仕上がる。さらには、袖を捲っていくことも出来るのだ。メモリ素材によって、形状の変化をより楽しくさせ、オシャレ心をくすぐってくれるのだ。

ひねりの効いたテキスタイルと風土ローブ独特のシルエットにより、ご覧のような妖しげな迫力のスタイルが完成する。説明するまでもないが、ドラキュラを連想させる幻惑的な風土ローブに仕上がっている。実は、漆黒の裏地も気持ち良いと評判である。

ところで、1から4の全作品に共通するが、前身頃の開き留めには、滴や独自のコートクリップを使っている。好きな位置に好きなように留められ、アクセサリーとなってくれる。当然、マフラーやショールなどコート以外のものにも自在に使えて便利である。これも、10年の間に誕生した、滴やとしても大変愛着のあるアイテムである。様々な素材のビーズを1点ずつ手作りで丁寧に作っており、いつも好評をいただいてきた。この他にも素敵なものが多いので、改めて紹介したい。

【旅する風土ローブ】
Material:表-ポリエステル 100%,裏-キュプラ 100%
Size:フリーサイズ
Price:68,000円+税

【貝細工のコートクリップ】
Price:5,000円+税



Op.8-3 : Goodspeed Parka "Ulanbator"旅するパーカ:陣パーカ ウランバートル
Detail & Coordinate


3番目のパーカは、袖なしのタイプである。風土ローブが生まれたことで、袖なしのタイプだけが「和次元パーカ」の名を引き継いできた。大きなモデルチェンジをしなかったからだ。しかし、この10周年企画を機に、袖なしタイプは「陣パーカ」と名を改めることにした。名は体を表すという。当然、大きなモデルチェンジの計画がある。今後は、その名に相応しくモデルチェンジしていくことだろう。

だが、今回は見送った。理由は単純だ。今回採用した素材のオレンジのムートンと新デザインのイメージが合わなかったのだ。様々な素材のパーカで和服と世界を調和させるという、この空想たくましい企画にオレンジのムートンを外すことなど考えられない。こういう素材は和服の世界にもあるべき!と幾度も使ってきた滴やとしては、10周年企画に登場しないのは淋しいからだ。でも、この企画は改名のタイミングには良い機会なので、この作品をもって「和次元パーカ」の最終型、「陣パーカ」のスタートとして、10周年のケジメとしたい。

いろいろと能書きを述べてきたが、訴えたいのは「このオレンジ、イイでしょ!」の一言に尽きる。表面の鮮やかさと裏ボアの柔らかさは、フェイクムートンの精巧を証明しているが、温かさはもちろんのこと、その素材感に比べて遥かに軽いことも、着心地の良さを証明している。そして、フードとその内側のグレーのボアが、和服のシンプルな背中に心地よいインパクトを与え、衿周りにアクセントと加えてくれている。これこそがパーカの醍醐味なのである。

後ろだけでなく、コートクリップの留め方の工夫で、前身頃の表情も変化するので、そちらも楽しんでもらいたい。景色に埋もれてしまわないオレンジを着て、広大な平原を馬で旅する光景を思い描いた。

【旅する陣パーカ】
Material:ポリエステル 100%
Size:フリーサイズ
Price:55,000円+税

【オリエンタルなコートクリップ】
Price:5,000円+税



Op.8-4 : Goodspeed Parka "Kamchatka"旅するパーカ:陣パーカ カムチャツカ
Detail & Coordinate


3番目のパーカでは、裏皮の方を表にして仕立てたので、最後のパーカは、ボアの方を表にして仕立てている。ボアと言っても、こちらは巻き毛のプードル・ボアだ。クルクルとかわいらしく、女性受けしそうな柔らかさがあるが、色は青みがかったチャコールグレーなので、着れば意外なほど男性向きだったりする。内側の皮革面の方が、濃紺なことも一因である。プードル・ボアの表情に、躊躇する向きもあるかもしれないが、実のところ男性にはこなし易いパーカと言える。触りたがるギャラリーは多いだろうから、パーティーシーズンには人気者になるだろう。そうなのだ、このタイプの袖なしパーカは、この防寒性にもかかわらず屋内で着ていても違和感がない。そういう意味でも場所を選ばず、汎用性が広く使い勝手の良いパーカなのである。

3番目のパーカと同様に、素材は精巧な作りで軽い着心地だ。温かさも変わらないが、ボアが外に向いているので、きっと周囲を和ませて温める効果も期待できることだろう。大胆なフードと巻き毛のボアが、自然に人目を惹きつけてしまうサービス精神旺盛なパーカと言えるだろう。メンテナンスに気を遣いそうな素材に見えながら、安心して使えるのがポリエステルの良さである。白い息を吐きながら語り合い、氷の世界でも温かくしてしまうような、微笑ましい情景が目に浮かぶような1着だ。

【旅する陣パーカ】
Material:ポリエステル 100%
Size:フリーサイズ
Price:50,000円+税

【陶器のコートクリップ】
Price:5,000円+税

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海外の反応


めっちゃかっこいい!



英語のオーダーページが欲しいな


 
やべええええええええええ!自分にもこういう素晴らしいものが必要だ



アサシンクリードのファンは好きそうだ・・・


 
ライトセーバーがあれば最高だな


 
これが2016年のファッションのトレンドになるな・・



ジェダイだ


 
これは最高だね!こういうデザイン大好きだ!!! このパーカを見てスターウォーズを思い出した人は他にいるかな・・・クワイガンやダースモールの線に沿ってる感じ


 
ジェダイのローブっぽいよね?


  
おぉ、これは本当に素敵だね。ただ残念なことに、自分の住んでる場所でコレを着るのは非現実的だけど



これが日本のアサシンクリードか



かっこいいね、それに快適そうだ



クリスマスにこのサムライパーカが欲しい


 
これがもしそんなに髙くなければ、すごく欲しいと言っていたんだけど



この赤と黒のものは・・・すごい、ただただ凄い・・・



簡単にジェダイに変身できるな


2015/12/30

【これが88歳の作品!?】 葛飾北斎が老いてから描いた画が強烈すぎる【波の画だけじゃない】



【これが88歳の作品!?】葛飾北斎が老いてから描いた画が強烈すぎる【波の画だけじゃない】


波の絵で、世界でも非常に有名な葛飾北斎。日本人にとってもあまりに見慣れたあれ以外の北斎作品もまた凄い。特に老人になってからの作品は圧倒されます。あまり知られていない、“波の絵じゃない”北斎の傑作を紹介します。(年齢は数えではなく、現代一般的な満で紹介します)



色彩感覚ずば抜けてる





八方睨み鳳凰図 下絵(1848年) 葛飾北斎 87歳ごろ長野県にある岩松院の天井に描かれた天井画。そのサイズはなんと畳21枚分。この大作を86歳から87歳までの1年かけて仕上げたというからすごい。とにかく迫力が半端ない!ビビッドな色味、鳳凰の目力も尋常じゃない。まさに魂が込められているような力強さがびしびしと伝わってくる。ちなみに天井画は今も当時の色彩と光沢を保っているという。



海外が驚愕した“北斎ブルー”

甲州石班沢(1831〜35年/『冨嶽三十六景』より) 葛飾北斎 70歳〜74歳ごろ藍摺絵(藍色の濃淡のみで仕上げた画)の傑作。「いろんな表情の富士山を描くよ!」というコンセプトシリーズ『冨嶽三十六景』のひとつ。ベロ藍(プルシャンブルー)とよばれる色がなんとも美しい。当時、海外の芸術家たちを驚愕させたこの色使いは、“Hokusai and Blue Revolution(青の革命)”とも呼ばれているそうで。
ちなみにこれ構図も面白くて、岩と猟師の持っている網で富士山と同じ三角形を描いています。




星の下で舞う鬼


文昌星図(1843年) 葛飾北斎 82歳ごろ筆を持った鬼は、もしかして北斎自身だったのかもしれません。






田植えが幻想的にみえる不思議

田植図(1843年) 葛飾北斎 82歳ごろ北斎晩年の作品。田植えをする人々のかぶる笠の白い丸が印象的。西洋画的な雰囲気も感じられます。






晩年に描いた虎

雪中虎図(1849年) 葛飾北斎 88歳ごろ満88歳で没した北斎が死の数ヶ月前に描いたという作品。虎の質感や肢体が独特の雰囲気で見る者をひきつけます。なんか普通じゃない感じを受けますね。





斬新すぎる滝の描き方


木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝(1833年/諸国滝廻り』より) 葛飾北斎 72歳ごろこちらは全国で有名な滝を描いたシリーズの1枚。流れ落ちる水の表情をどう描くかに主眼が置かれているそう。その企み通りすごい描き方です。流れ落ちる直前の水と落ちていく水がまったく別物のよう。こんな発想、どこからくるんでしょうか。







妙に格好いい「端午の節句の縁起もの」


鍾馗騎獅図(1844年) 葛飾北斎 83歳ごろ魔を追い払う神「鍾馗(しょうき)」が、魔除けの動物獅子に乗ってるんだから、その効果は半端ないです。北斎自らの長命・厄払いの願いを込めたなんて話も。しかし、魔除けというよりも、積極的に打ち払いにいかんとするこの迫力。80歳を超えて、なおこの画が描けるのが凄い。



動きのある美人画


手踊図(1818~29年) 葛飾北斎 57〜68歳ごろ一瞬を切り取る名人・北斎の真骨頂。美人画も普通じゃありません。






通称、赤富士

凱風快晴(1831〜35年/『冨嶽三十六景』より) 葛飾北斎 70〜74歳ごろ『波の画』と並び、海外でも非常に有名な作品。実は初期版ではここまでの赤ではないのですが、それは美術館で実際に観るときのお楽しみかもしれません。






もう一丁、富士山。

富士と笛吹童図(1839年ごろ) 葛飾北斎 78歳ごろ凄まじい構成力。ただ、それよりもなんなんでしょう、この漂う寂しさは。日本人の琴線をびしびし刺激する画です。




武者のとっくみ合い


渡辺の源吾綱 猪の熊入道雷雲(1833〜35年/『山本屋版武者絵』シリーズより) 葛飾北斎 72〜74歳ごろ風景画で有名な北斎ですが武者絵もこのとおり素晴らしいです。ギュウギュウととっくみあう2人の男のポーズがすごいですね。特にやられている方の指。







北斎流お化け



「お岩さん」(上)、「小はだ小平二」(下)(1831~32年/『百物語』より) 葛飾北斎 70〜71歳ごろ当初は100枚のシリーズものだったらしいが現在確認されているのは5点のみ。どれも怖いのはもちろんながらまるでポスターのようなデザイン性の高い構図がすごい!





発想がぶっ飛んでる

蛸と海女(1820年ごろ) 葛飾北斎 59歳ごろ北斎は春画(性風俗画)も数多く手がけています。ホントになんでも描くな、この人。その際のペンネームがまた面白い。その名も「鉄棒ぬらぬら」。こちらは北斎の春画のなかでも特に有名な1枚。200年近く前にこの発想力。






歴史的ロングセラー


北斎漫画(1814年〜) 葛飾北斎 53歳ごろ〜北斎は風景画からエロまで何でも描きました。彼はいつからか「森羅万象」を描くといわれるようになりますが、こちらはその集大成。この漫画とは「漫(そぞ)ろな画」=気の向くままに描いた画という意味で、まさに絵の百科事典。全15編。人々のさまざまな姿をはじめ動植物、風景、道具、妖怪などなんでもあり。太った人ばかりを描いたものは思わず笑ってしまうほのぼの感にあふれています。北斎の死後、時代が明治に移ってもなお続編が刊行され続けました。





デフォルメの凄さ

くだんうしがふち(1804〜07年) 葛飾北斎 43〜46歳ごろ中年期の作品だけど、ぜひ紹介したいです。西洋画の技法の研究にも余念がなかった北斎はこんな西洋画風の作品も残していました。






鳥さん、逃げてー!

蛇と小鳥(1833~1839年ごろ/『肉筆画帖』より) 葛飾北斎 72〜78歳ごろ説明不要の一瞬を描いた作品。あいかわらずの構図の凄さ。一節によると、天保大飢饉で版元たちも餓死寸前だったときに、この『肉筆画帖』シリーズを描いたところ大ヒット。それにより、飢えをしのいだとか。







鮭さんも逃げてっ!

鮭と鼠(1833~1839年ごろ/『肉筆画帖』より) 葛飾北斎 72〜78歳ごろ今度は鮭。シリーズ『肉筆画帖』のうちの一枚。





いまだ世界を魅了するグレートウェーブ

神奈川沖浪裏(1831〜35年/『冨嶽三十六景』より) 葛飾北斎 70〜74歳ごろおそらく歴史上もっとも有名な日本画。海外では「グレートウェーブ」という名称で愛されています。葛飾北斎が遺した数多くの傑作のひとつです。






北斎「イベントやるから来てね!」

大達磨揮毫の予告黒摺引き札(1817年) 葛飾北斎 56歳ごろ1817年、北斎は名古屋に滞在中、本願寺別院で120畳敷きの巨大な紙に即興で達磨を描き名古屋の人の度肝を抜きました。これはそのイベントを予告するチラシ。ちなみに巨大達磨の絵そのものは残念ながら戦災でなくなってしまい、今ではこのチラシだけが残っています。北斎という人はエンターティナーでもあったようです。






あいかわらず鳳凰の迫力がすごい


鳳凰図屏風(1835年) 葛飾北斎 74歳ごろ天井絵とは別の画ですが、こちらも圧倒的な迫力。これが180年近い前の作品ということに言葉が出ません。ぜひ拡大してみてください。(上の画像をクリック)





ただのスイカなのに妙に妖しい


西瓜図(1839年) 葛飾北斎 78歳ごろスイカのしっとりかつ赤々とした断面と、らせん状の剥かれた皮。じっとみていると、ただのスイカなのですが様々想像力がかき立てられます。







なんともオシャレ


中版花鳥図 鶺鴒と藤(1834年) 葛飾北斎 73歳ごろ鋭い観察眼を持つ北斎は花鳥図も得意としており海外での評価も非常に高いです。この「鶺鴒と藤」もいいですね~。なんかシャレてます。お菓子のパッケージとかにも使えそうです。






空海VS疫神

弘法大師修法図(1844〜47年ごろ) 葛飾北斎 83〜86歳ごろ弘法大師と真言宗の開祖・空海が疫神を調伏しています。とんでもない迫力。西新井大師の寺宝です。





月と虎


月みる虎図(1844年ごろ) 葛飾北斎 83歳ごろ月を見上げる虎の表情がなんともいえません。うっとりしてるようでもあり、何かを寂しく想っているようでもあります。






着物の柄と色使い


遊女図(1810〜19年ごろ) 葛飾北斎 49〜58歳ごろ中年期の作品ですが番外編として紹介。幾重にもかさなる着物の柄と色使いがなんとも華やか。






親子合作

唐獅子図(1844年) 葛飾北斎 83歳ごろこの鮮やかで力強い浮世絵。真ん中の獅子が葛飾北斎の作、周りの花を描いたのはその娘であり絵師である葛飾応為(かつしかおうい)。天才絵師2人による親子合作です。






昇り龍


富士越龍図(1849年) 葛飾北斎 88歳ごろ北斎が死の3ヶ月ほど前に描いたといわれこの作品が絶筆ともいわれています。天に昇る龍は死が近づくのを悟った北斎自身なのかも。





北斎はこんなことを記したことがあります。
「70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。」

北斎は数え年90歳になって、この世を去ります。彼の言葉を借りれば、奥義に極めた年齢。
しかし、彼の最後の言葉は次のようなものでした。


「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」(もうあと5年長生きできたら、本当の画工になることができたものを)

最後に。
葛飾北斎の自画像を紹介します。





鬼気迫る様です。それもそのはず。北斎は、晩年自らをこう号していました。



「画狂老人卍」(がきょうろうじん まんじ)


現状につねに満足せず、引っ越し93回、改名すること30回。
生涯現役として描いた絵は3万点。
「世界第一の画工になる」と本気で宣言し、
80歳を越えても、「猫一匹も描けない。意のままにならない」と、悔し泣きをした老人。
それが葛飾北斎でした。

北斎の辞世の句です。


「人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原」(人魂になって、夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか)