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堤中納言物語
虫めづる姫君
あるいは、虫愛づる姫君を愛ずる右馬佐の物語。
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美しいものを好む女性が多く住むある街の一角に、地位の高いお方の娘が住んでいたのです。親たちはこの姫君を大変可愛がっておりました。
この姫君のいうことは変わっており、「世間の人は花よ蝶よと綺麗なものばかりありがたがるけれど、そうじゃないと思うのよね。人間は、誠実に、物事の本質を追求してこそ志があるってものじゃない。」といって、たくさんの虫の、しかも気持ちの悪いものを集めては「成長するのを観察するのよ」と、籠に入れて飼っていたのです。
特に、「毛虫が、何かを考えていそうなところってすごく惹かれない?」といって、一日中、髪も動きやすいようまとめてしまって、手の上に毛虫を乗せて見守っているありさまでした。
若い侍女たちは気持ち悪がって嫌がるので、そこらの男童を呼び寄せて、籠に飼っている虫の名前を聞いたり、名前を付けたりして面白がるのです。
「人間はね、変につくろわない方がいいんだってば」と眉も整えず、お歯黒も「面倒だし汚らしいじゃない」と付けないままで白い歯を剥き出しにして笑いながら、虫たちを毎日可愛がっているのです。周りの人たちが我慢できずに逃げ出すと、姫君は怒って叱り付けます。「こんなことで騒いで暴れるなんて、行儀の悪い」といって、太い眉でにらみ付けるので、侍女たちは途方に暮れるのでした。
両親は、「本当に変わり者で困ったもんだ」と思っていましたが、「普通じゃないが、頭の回転は良い娘のことだから、きっと何か考えがあるのだろう。娘のため、と思って説教をしてもいちいち真剣に反論してくるのだから、手がつけられん」と、情けなく思っているのでした。
「そうはいっても、やっぱり見た目や印象と言うのは大事なのよ。世間の人は、見た目がよければいい印象を抱いてくれるのだから。『気持ち悪い虫にしか興味がない』なんて噂されるのは嫌でしょう」と説いてみても、「気にしないわよ。万物の事象を追求してその行く末を予測するからこそ、その理がわかるのよ。人の噂を気にして思考停止するなんて、低俗なこと。私は、毛虫が蝶になる過程に興味があるの。」と、羽化の様子を取り出して見せるのでした。
「みんなが着ている絹だって、蚕が幼虫のうちに取り出すでしょう? 羽化してしまってからじゃ、それこそ──袖にもされない、ってわけよ。」と勢いよく述べるので、言い返すこともできず、呆れ果てる、という。
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とはいえ、さすがに姫君も両親に面と向かって反論するのは気が引けるのか、「鬼と女は、人に姿を見せないから価値が上がっていいのよ」などといって、少し巻き上げたすだれと立てた几帳越しに、理路整然と理屈を並べるのでした。
こんな姫君の若い侍女たちは、「ホントにあの趣味は何とかならないかしら、おかしくなりそうよ。あのペットたちは…」「もっとおしゃれに興味のあるような姫君に仕えている人たちは、どんな風にしてるのかな」などと愚痴ばかりでした。
侍女の1人、兵衛が和歌を作って、
「私だっていつかは姫様を説き伏せてみせるわよ。毛虫だって蝶になるのだから、姫様だっていつまでもあんなふうではいさせないんだから。」
と言うと、小大輔という侍女が笑って、
「うらやましいわよねー。世間じゃ今年の香水は、とか言ってるのに、こっちは毎日虫の匂いの中で暮らしてるんだから。」
という和歌を作ります。
他の侍女たちも、「イタイよね、姫様の眉毛も毛虫みたいだし。」「それでさ、歯は白くて皮の剥けた毛虫って感じ。」などと好き勝手なことを言っています。
左近という侍女も和歌を作って、
「冬が来れば服だけは困らないかもねー、ここには毛虫がいっぱいいるから。着ないでいらしても大丈夫よー、なんてね。」
などと言い合っていました。
そこに、小うるさい侍女がやってきて、「あんたたち、何を言ってるの。おしゃれが好きだからっていっともいいことなんてないんだから。ろくでもないことの方が多いくらいよ。それに、毛虫のことを蝶だ、なんていう人はいませんよ。姫様は、それが脱皮するので、その過程を研究したいといっているの。頭を使うということは、そういうことなの。美容整形だのダイエットだの、体を壊したりろくなことにならないよ。ほんとに品のないことばっかり言って」と叱るので、若い侍女たちはますます憎たらしくなって、悪口を言い合うのでした。
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虫を捕まえると、姫君がいろいろな物をくれるので、童たちはいろいろな不気味な虫を集めてきます。姫君は、「毛虫は、毛の様子が面白いけれど、故事や歌に出てこないので頭を使うことがなくてつまらないわね」といって、カマキリやカタツムリを集め、それが出てくる歌や詩を童に大声で歌わせ、それどころか自分まで大声で「かたつむりのぉ、角が、戦うのだ、なんぞ」などと歌うのでした。童の呼び名も、普通のままではつまらないといって、虫の名前を付けていました。ケラ夫、カエル麿、とかげっち、あまびこなどと名づけて召し使っていたのです。
こんなことが世間の噂になって、あることないこと広がっていくうちに、さる名家の御曹司で怖いもの知らずの美男子がこの姫君のことを聞きつけ、「いくら毛虫好きとはいってもこれは怖いだろう」といって、立派な着物の帯の端を蛇の形に仕立て、蛇のように動く仕組みまで組み込んで、鱗模様の袋に入れて持っていったのです。
結び付けられた文には
這いながらもあなたのお傍におりましょう。長い心の限りない身なので。
とあり、侍女は「袋で物を贈ってくるなんてどういうことかしら。結構重たいわね」と思いながらも姫君のところへ持っていきます。紐を解いて開けてみると、なんと中から蛇が首をもたげてきました。侍女たちが大騒ぎしているなか、姫君は平静を装って念仏を唱えると、「前世は私の親だったかもしれないのよ。そんなに騒がなくていいわ」と声をかけました。
しかし、声は震え声、顔はそっぽを向いており、「美しい姿のときだけ親しくするなどというのは、良くないことよ」とつぶやいて近くに引き寄せはするものの、さすがに恐ろしくて、立ったり座ったり、声も裏返っておかしかったり。皆は姫君の元から逃げ出して、離れたところで笑いあっていました。
別な侍女が、屋敷の主人に事の次第を報告します。
主人は、「なんておかしな、腹の立ついたずらだ。そんな蛇がいることを見て、姫がおるのに逃げ出すことも、けしからん」と太刀を引っさげて走ってきました。調べてみれば、大変よくできた贋物で、「大した細工をする奴だ」と、娘には「お前がかしこぶって虫なんて可愛がっていると聞いて、からかってきたんだろう。一応マナーだから返事をして、早く使いの者を返してしまいなさい」と言って父親は戻って行きました。
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侍女たちは、作り物の蛇だったと聞いて「嫌なことする奴だね」と言って憎く思いましたが、「返事をしないのは、また噂になってよくないわね。」といって、ひどくごわごわして、色気のない紙を用意しました。
姫君はまだ幼くてひらがなが書けなかったので、カタカナで、
ゴエンガアレバ、ゴクラクニイッテカラアイマショウ
ヘビノスガタデハ、イッショニイルノハムズカシイコトデスモノネ
という和歌を、源氏物語の古歌を踏まえて作って見せました。
右馬佐(うまのすけ)であるこの男は、返歌を見て「これは珍しい、変わった文だ」と思い、「どうにかしてこの姫君を見たいものだ」と、友人の中将と相談して、主人の出かけたときを見計らって、女装して姫君の邸宅へやってきました。
姫君の住む建物の北側の囲いのそばにいると、そこらにいそうな童が庭の木々の側に立って、「この木に全部、数え切れないくらいいる虫が、すごいですよ」と言っています。
童が「見てください」と簾(すだれ)を引き上げて、「ほんとに面白い毛虫がいますって」と言うと、姫君がきびきびとした声で「いいじゃない。こっちに持ってきてよ」と言います。
童が「選ぶことなんてできませんよ。すぐここですから、見てください」と言うと、姫君はあっさりと簾から出てきました。
簾を押しのけて虫のついた枝を見ている姿は、着物は頭の方へずれてしまい、髪は額の辺りでは美しいのに、櫛を通していないからか、ばさばさとしています。眉毛は太くはっきりと残っていて、鮮やかできりっとして見えます。口元もかわいらしくて、整っているけれど、お歯黒をつけていないのであまり色気がありません。「化粧をして手入れをしたら、きっと美しいだろうに。惜しいなあ」と右馬佐は思うのでした。
こんなにだらしない格好をしているのに、醜いということもなくて、それどころか印象的で気品があり、晴れやかな姿なので、もう少し何とかすれば、と。
なにしろ、年寄りのような地味な色の袿に、おかしなこおろぎの模様の小袿を重ね、男のような白い袴を着ているのです。
枝の虫を良く見ようと姫君は身を乗り出して、「ああ、いいじゃない。日差しに照りつけられて、こちら側に来ているのね。ちょっと、これを全部こっちへ追ってきてよ。」と言うので、童が毛虫をぱらぱらと突き落としました。
姫君は、白い扇に漢字の練習をしたものを差し出して、「これに拾って載せてよ」と言いつけます。童が、その指示に従って順番に毛虫を集めていきます。
見ている右馬佐や中将たちもあきれ果て、「才学のある家に、このような姫が生まれるものか」と思い、右馬佐は「なんという変わった姫君だろう」とあらためて興味を持つのでした。
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少し離れた場所に立っていた童が、大輔(たいふ)の君という侍女に、「あの囲いのそばに、格好いい男の人がなんだか変な格好をして立っているよ」と報告しました。大輔の君は、「それはちょっとまずいわね。姫様は、例の虫遊びで外から見えるような場所にいるんじゃないでしょうね。知らせなくちゃ」と姫君の居所へ向かいます。案の定、簾の外に出て、大騒ぎしながら毛虫を払い落とさせているではありませんか。
虫が恐ろしいので近くには寄らず、「姫様、どうか簾の内に入ってください。外から見えてしまいます」と声をかけるものの、姫君は「またやめさせようとして言っている」と思い、「そんなことは恥ずかしくなんてありません」と言い出します。
大輔の君が「本当に、姫様は…。嘘じゃありませんよ、その囲いの向こうに、立派な男の人がいらっしゃるんですよ。虫は簾の奥で見ればよいではないですか」と言ってもすぐには信用せず、「ケラ夫、ちょっと外に出て見て来なさい」と言っています。
ケラ夫が走ってのぞきに行き、「本当にいるよ」というと、姫君はぱっと走って毛虫を拾い、袖に入れると、簾の奥に隠れたのでした。
右馬佐は、姫君の姿をすっかり見ることができました。
身の丈もほどよく、髪も袿くらいに伸ばして豊かです。髪の端を切りそろえていないのでふんわりとした感じは足りないのですが、全体として均整がとれていて、かえってさわやかな美しさがあるのです。
右馬佐は、「これほど容姿が整っていなくても、世間並みの手入れや言葉遣い、振る舞いを身に付けていれば、女としてすばらしいと言われているのに、この姫君はもったいないことだ。確かに、言動はとても受け入れられないが、本当に清廉で気品のあって、それに人を困らせる点では他の女と全然違うなあ。残念だ。なんであんな趣味を持っているんだろうか。あんなにいいものを持っているのに」と思うのでした。
右馬佐は、中将たちに向かって「せっかく噂の女を見に来たのに、このまま帰ってしまうのではつまらない。見たぞ、ということだけでも知らせよう」と、紙に、虫好きの姫君にと草の汁を使って和歌を書き付けました。
毛虫の毛の深い様子を見て以来、とりもちでとって自分の手元に置きたい気持ちですよ。
として童を呼び、「これを渡してくれ」と預けます。大輔の君は、それを受け取り、「これは、あそこに立っていた人が姫君にといって」と取り次ぎながら、「なんてこと。右馬佐のやったことでしょう。変な虫を面白がっている姫様を見物しにきたんでしょうよ」といってあれこれと嘆いていたところ、姫君がいうには、「人間、悟ってしまえば何も恥ずかしいことなんてありませんよ。人は夢幻のような世に生きているもの。誰が永遠に生きて本当の善悪を定めることができるものですか」と。
侍女たちはもう何を言う気も失せて、それぞれの心の中で「もうどうにでも」と思うのでした。
右馬佐たちは、返歌があるだろうと思って立って待っていたけれど、邸内では童までみな屋敷の内に呼び入れて、嘆いています。しばらくたって、ようやく返事をしなければ、と気づいた人もいたようで、待たせっぱなしは良くないだろうと、姫君の代わりに返事を書きます。
お名前をいただければ、普通ではない姫様の気持ちを知らせることもできましょう
右馬佐は、
毛虫のようなあなたの眉毛の、その端に当たるような人もいませんよ。
といって笑って帰って行きました。続く。
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