古事記、日本書紀には、垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして
「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」
と呼ばれる不老不死の力を持った(永遠の命をもたらす)霊薬を持ち帰らせたという話が記されています。
「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」
と呼ばれる不老不死の力を持った(永遠の命をもたらす)霊薬を持ち帰らせたという話が記されています。
古事記の本文では非時香菓を「是今橘也」(これ今の橘なり)とする由来から京都御所紫宸殿では「右近橘、左近桜」として橘が植えられています。
ただし、実際に『古事記』に登場するものが橘そのものであるかについてはわかっていません。
実は漢方薬にこれに由来するといわれる生薬があるのをご存知ですか?
枳実(キジツ)と枳殻(キコク)
枳実と枳殻は原植物が同じであって、ただ薬用とする果実の成熟度が異なります。枳実は未熟果で、枳殻はほぼ成熟した果実です。
一般には夏至以前に採取したものを枳実、秋季に採取したものを枳殻とします。薬効的には前者が鋭いです。
一般には夏至以前に採取したものを枳実、秋季に採取したものを枳殻とします。薬効的には前者が鋭いです。
原植物のダイダイ(Citrus aurantium L.)はインド近辺のヒマラヤ山域が原産地とされ、そのためか暑さにも寒さにも強く、有用植物として古く紀元前に東西に伝播しました。
中国でも古字書である『爾雅(ジガ)』(前2世紀)にすでに「橙」の名が見え、『神農本草経』に「枳実」が収載されています。
中国でも古字書である『爾雅(ジガ)』(前2世紀)にすでに「橙」の名が見え、『神農本草経』に「枳実」が収載されています。
ヨーロッパでは地中海沿岸に多く植栽され、生食には不向きですが、果皮がマーマレードとして、また果汁が酸味料として利用されてきました。鍋料理に欠かせないポン酢は、オランダ語のポンスが語源であることはあまり知られていないかもしれません。同様に利用されるカブスはダイダイの一変種です。
薬物としての枳実と枳殻は、現代中薬学ではともに五臓を廻る気の停滞(気滞)を改善する理気薬(行気薬)に分類されます。とくに脾胃の気分に作用し、胃腸の気滞を改善して、腹満、腹痛、便秘などを治します。
薬効は未熟な果実はど強いので、患者の体質を見極めて枳実と枳殻を使い分ける必要があります。また、薬効は猛烈で正気を消耗するので、はなはだしい虚弱者には不向きです。大柴胡湯や大承気湯など実証患者向けの処方には枳実が、また潤腸湯や参蘇飲など虚証患者向けの処方には枳殻が配合されます。
陳皮(チンピ)を始めとする多くの柑橘類生薬のほか、香附子(コウブシ)、木香(モッコウ)、砂仁(シャジン)、濱榔子(ビン□ウジ)などもまた行気薬です。
ところで、記紀(キキ)に書かれた非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)はダイダイであるとする説があります。
他の柑橘類にくらべて実が落ちにくく、冬に橙色になった実は回青現象といって晩春に再び青くなります。
その実が3代にわたって木に残ることから"代々"の名があります。縁起物として正月飾りに使用されるゆえんです。なるほど、定説のタチバナよりは記紀の内容にふさわしいかもしれません。
以下、物語です。
伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと・垂仁天皇)の時代のおはなしです。
天皇には、多遅摩毛理(たじまもり)という、新羅国から渡ってきた王子の子孫がお仕えしておりました。ある時、天皇は多遅摩毛理に常世(とこよ)の国にあるという「ときじくのかくの木実」を探すよう命じました。
常世の国とは、海のはるか向こうにあると考えられていた不老不死の理想の国のことです。そこで実るときじくのかくの木実は「時を定めずに黄金に輝く」という香り高い木の実で、食べれば年もとらず、死ぬこともない不老不死の源だと伝えられていたのです。
常世の国を目指し、ときじくのかくの木実を探す多遅摩毛理の旅はとても大変なものでした。そのため、ようやく都へと戻ってきたときには、出発してから十年もの歳月が流れており、なんと天皇ご自身がすでに亡くなっておられたのです。
そのことを知った多遅摩毛理は、持ち帰った実の半分を皇后に差し上げ、残りを天皇の御陵(お墓)にお供えし、涙ながらに、いいつけを果たしたことを伝えました。その悲しみは深く、多遅摩毛理もついにそのまま亡くなってしまいました。ときじくのかくの木実とは現在でいう橘(たちばな)だといわれており、『日本書紀』では「香菓」と書かれています。古代では「菓」という言葉は「果物」を指すのですが、後に意味が転じ、いつしか多遅摩毛理は「菓子の祖先」として信仰されるようになりました。
垂仁天皇の御陵は奈良市尼ケ辻にある宝来山古墳とされています。その御陵に寄り添うように、濠に浮かぶ小さな島は、いつしか多遅摩毛理に思いを寄せる後世の人々によって多遅摩毛理のお墓だと語り継がれるようになりました。
秋には周囲に植えられたミカンの木が、今か今かと多遅摩毛理の帰りを待ちわびたであろう天皇と、その言いつけを果たしながらも間に合わなかった多遅摩毛理と、ふたりの思いが鎮まる地に黄金色の光を灯すように色づきます。
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