鎌倉時代の元寇(げんこう、蒙古襲来)のうち、1281年の2度目の襲来(弘安の役)で沈んだ元の軍船とみられる船が、長崎県松浦市沖の海底で見つかった。
調査した琉球大の池田栄史教授(考古学)が24日、長崎県庁で記者会見し明らかにした。
池田教授によると、ほぼ原形をとどめており、良好な形の元寇船が見つかったのは初めて。
同教授は「元寇船の全容解明に向けてさらに調査を進めたい」と話している。
発見された場所は、長崎県北部の伊万里湾に浮かぶ鷹島(同市)沖水深20~25メートルの海底の土中。
船体の背骨部分に当たる「キール」(長さ12メートル、幅50センチ)や両舷を構成する板が残っており、全長20メートルを超える大型船と推測される。
海底に埋もれた状態だったことから腐食などを免れ、原形をとどめることができた可能性が高いという。
池田教授によると、キールや両舷を構成する板の打ち方などの構造、使われていたしっくい状の塗料が当時の中国船の特徴と一致。
また、元寇の様子が描かれた「蒙古襲来絵詞」に「てつはう」と記述されている武器や、大量の中国産陶磁器が周辺から見つかったことなどから、元の軍船と判断した。
この時代のもので沈没した年が特定できる船が見つかるのは珍しいという。
鎌倉時代、元は従属を迫るため、2度にわたり日本へ大船団を送ったが、2度とも「神風」と呼ばれた暴風雨に見舞われ、壊滅的な被害を受けて敗退した。
【琉球大学考古学研究室提供】
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