2015/11/03

生と死の接点。あの世のいりぐち青森県「恐山」と、シャーマン「イタコ」




生と死の接点。あの世のいりぐち青森県「恐山」と、シャーマン「イタコ」


恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。

古くは宇曽利山「うそりやま」と呼ばれたが、下北訛りにより変化し、恐山「おそれやま/おそれざん」と呼ばれるようになった。

「うそり」とはアイヌ語の「うしょろ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味する。

外輪山は釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。「恐山」という名称の単独峰はない。


火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。

寺名は菩提寺、本坊はむつ市田名部にある曹洞宗円通寺である。

本尊は地蔵菩薩。

恐山は、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られ、古くから崇敬を集めてきた。

下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている。

一方、近代においては山中に硫黄鉱山が建設され、硫黄の採掘が行われていた時期もあった。

恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が並び、イタコの口寄せが行われる。

なお恐山で口寄せが行われたのは戦後になってからであり、恐山にイタコは常住していない。

また恐山菩提寺はイタコについて全く関与していない。

イタコは、八戸や、青森から恐山の開山期間中にのみ出張してきており、むつ市には定住していない。

高野山、比叡山と並んで、「日本三大霊山」とされることもある。

恐山は火山であり、境内には温泉が湧いている。4つの湯小屋は無料(参拝料は必要)であるほか、宿坊にも温泉施設がある。






862年、慈覚大師円仁は
「東へ向かうこと三十余日、霊山あり
その地に仏道をひろめよ」との
夢のお告げに従い諸国を行脚
そして辿り着いたのが、この地
恐山であると言われている
日本三大霊山* の一つに数えられ
立ちこめる硫黄臭(画像)と荒涼とした風景は
その名に恥じない

* あと2つは、滋賀県の比叡山と和歌山県の高野山
恐山

極楽浜

しかし岩場地帯を抜けると風景は一変する

宇曽利湖畔のその場所は 極楽浜 と呼ばれ
その鮮烈な美しさが
かえって不気味さを感じさせる
2012年に東日本大震災犠牲者追悼の為
極楽浜に建てられた地蔵菩薩像

背面には大小数十の手形が彫られており
きっと故人と同じ大きさの手形もあるはず
手形に手を合わせ故人を偲んでみては。
東日本大震災犠牲者追悼の地蔵菩薩像

恐山のイタコ恐山は、死者の御霊を呼び口寄せを行なう
イタコ(いたこ)がいる霊場として有名だが
ここに居るのは恐山大祭と恐山秋詣りの時が
メインなので要注意
※大祭期間以外のイタコさんについては
  こちらをご覧ください
恐山へ向かう道にある太鼓橋
悪人には、この橋が針の山に見えて
渡れないと言われる
三途の川
恐山温泉境内にある4つの温泉は
それぞれに効能があり
参詣者は自由に入浴できる
1人12,000円(1泊2食付)で宿泊できる
「恐山宿坊」もあるので
1度泊まってみては如何でしょう
※問合せ先は恐山寺務所です
  宿坊ですので「おつとめ」があります
宿坊
おみやげ屋、食堂おみやげ屋、食堂もあります
こちらが恐山の概略図です →


恐山の境内を一回りすると
だいたい40分ほどでしょうか
恐山簡略地図

冷水(ひやみず)

恐山街道の途中にある湧き水
冷水(ひやみず)

1杯飲めば10年、2杯飲めば20年
3杯飲めば死ぬまで若返ると言われる水で
今も恐山を訪れる旅人の喉を潤している



1、恐山と聞くとこんなイメージ



出典: WWW.SHIMOKITA-KANKO.COM


恐山は、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られる。

出典:JA.WIKIPEDIA.ORG


イタコで有名な日本三大霊場のひとつ

出典:CHOTTOSOKOMADE.COM


「イタコの口寄せ」とよばれ、多くの人が亡くなった方の言葉を聴きにやってくるのです。


たぶんみなさん、こんな感じのイメージを抱かれるのではないかと思います。

ずいぶん恐ろしそうな場所だけれど、実際本当に怖いところなんでしょうか?




2、恐山はあの世への入り口だった



出典: TABIKAPPA.BLOG55.FC2.COM



ばっちり書いてありますね、「三途川」


恐山へ向かう道にある太鼓橋。悪人には、この橋が針の山に見えて渡れないと言われる

出典:SIMOKITA.ORG


東北では「人は死ぬとお山(恐山)へ行く」と信じられているが、死ぬとこの三途川を渡って向こうに行く、ということか

出典:TETSUJINWOMEZASITE.BLOGSPOT.JP



出典: TABIKAPPA.BLOG55.FC2.COM


一見綺麗な川なのですが・・・


この川、硫黄が溶け込んでいるため、近づくと異様なにおいがします。あの世との間を流れている、と考えられたのも納得できます。


ちなみにこの三途川は、正式名称は正津川

出典:CHOTTOSOKOMADE.COM





3、橋向こうで地獄巡り



出典: PLAZA.RAKUTEN.CO.JP



荒涼とした岩肌の山景色。硫黄のにおいがたちこめています。


様々な地獄がところどころにあって立て看板があります。

出典:WWW.VERYBLUE.ORG


血の池地獄



出典: CHOTTOSOKOMADE.COM



稀に藻が発生し、池の水が真っ赤に染まるそうです・・・

出典:PLAZA.RAKUTEN.CO.JP


修羅王地獄



出典: CHOTTOSOKOMADE.COM



なんか「危険」って書いてあるけれど・・・


硫黄ガスが噴き出しており、本当に危険みたいです。

出典:KN000PIEM.SP.LAND.TO



リアル地獄じゃないですか・・・





4、ちゃんと極楽もある



出典: WWW.TETSU-TETSU.NET



宇曽利湖(うそりこ)、通称極楽浜


今までの地獄とは対照的に非常に美しい湖畔です。

出典:WWW.VERYBLUE.ORG


なおこの湖は酸性の為、ほとんど生物が生息しませんが、唯一ウグイだけが魚類として生息

出典:4TRAVEL.JP



出典: WWW.TRIPADVISOR.JP





イタコ




東北地方とくに下北半島周辺における民間霊媒を指してイタコと呼びます。イタコは口寄せという技法を使って、死者や生者の霊を呼び出し、自分の身に憑依させて相談者と会話させることができます。その語源に関しては、アイヌ語で「神がこう告げた」という意味の「イタク」という言葉が訛ったという説、あるいは神道において神の宣託を伝える役目を担う斎巫女(イツキノミコ)が中世期以降に零落して各地方を放浪するようになり、そのうち東北地方に流れ着いた者をイチコと呼んでいたのが、さらに訛ってイタコとなったという説などがあります。


学術的分類では、イタコは修行型シャーマンに属する霊媒です。生まれながらに霊感や霊能を持った者がなるのではなく、一定の修行を通して霊能力を後天的に開発していくのです。東北の歴史においてイタコがいつ頃発生したのかは定かではありませんが、恐らくは中世期以降であると思われます。その修行過程は非常に厳しく、なおかつイタコとなれる者の資格も限定されていました。それは完全な盲目もしくは視力に障害がある女性です。そうした女性は近世以前の農村社会においては婚姻を忌避される傾向が強かったので農家の家庭に入って主婦になるという道を選ぶことが難しく、しかたなくイタコとなる道を選ばざるを得ませんでした。


イタコとしての弟子入りは記憶力の旺盛な幼年期のうちにするのが最上とされ、多くが初潮を迎える直前の少女のうちに入門することになります。先輩のイタコに弟子入りした少女たちはその師匠の家で炊事洗濯などの下働きをしながら、二年から四年程度の修行を続けます。師匠の身の回りの世話を続けながら、徐々に巫術や祈祷について学んでいくのです。


最初に憶えるのは口寄せなどの儀式の際に唱える経文や祭文、祝詞、真言などの様々な呪文です。膨大な量の呪文集を口伝てのみで残らず暗誦します。間違いは決して許されず、一言一句違わずに記憶できるようになるまで何度でも繰り返されます。視力障害を持っている少女にとって、それは本当に厳しい日々であったと推測されます。


年数を経て呪文の暗誦が完了すると、いよいよ霊媒として独り立ちするためのイニシエーション(通過儀礼)を受けることになります。それは神憑(かみづけ)と呼ばれる儀式で、それを執り行う一、二週間前より穀断ち・火断ち・塩断ちなどの断ち行を課せられます。さらに水垢離などの精進潔斎を重ね、身を清めて神の使いとなる日を待ちます。


やがて神憑の当日になると、師匠であるイタコの家に入門者の少女の両親や兄弟姉妹を初めとする多くの人々が集います。そうした人々が見守る中で、師匠と弟子は向かい合いとなり、ひたすら経文や祭文を唱え続けるのです。この経文の唱詠は入門者が失神するまで続けられます。これは人為的に極限のトランス状態を作り出し、入門者に霊を降ろさせることを目的としています。降りてきた霊は師匠によって審神(さにわ)され、弟子の守護神と守護仏の名が明らかとなります。


これをもって神憑式は終了し、師匠から免許状とともにイラタカ数珠や梓弓などの巫具を授けられます。


イタコは現代においても東北各地に現存しています。彼らが活動する場として一番有名なのは毎年恒例の恐山大祭(七月二十日~二十四日)と川蔵地蔵堂で開かれるイタコマチですが、それ以外の時期には自分が居住する地域において人々の相談事に乗ったり、祈祷を行ったりして生計を立てています。また、地域の集会所で降霊鑑定を行っていた「陸奥鑑定所」などは有名です。ただ、イタコの総数自体は年を追うごとに激減し続けており、新たな後継者も皆無に近い状態です。このままでは早晩、イタコの伝統自体が消え去ってしまう恐れも出ています。


しかし、その一方でイタコの灯を消すまいと努力している人々もわずかながら存在します。


イタコの中でもとくに霊能が高く、どんなことでも的中させてしまう者はカミサマと呼ばれ、地元で崇敬される存在となっていますが、中にはこうした一部のイタコの高名を慕って弟子となる志望者もいるそうです。現に一部の霊能鑑定所では、イタコ直伝の口寄せや祈祷を用いて相談業務を行っている霊能者も存在しています。


霊能力の観点からイタコを分類すると、視力障害を伴った霊媒能力者ということになりますが、相談者の求めに応じて口寄せだけでなく祈祷や供養などを行うこともあるので、そういう意味では霊媒であり呪術者でもある存在と言えるでしょう。


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